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●CQオーム誕生
1992年、岐阜市菅生(現在の場所)にてCQオームが新装開店。
これまでの名前『CQ house Ω』から『CQオーム』に変更。
まず名前が長いのでもっと短くしようというのが変更の主な原因だったそうです。
また、省略される時に、シイキュウオームであればいいのですが、ハウスオームと略されてしまうと、郵便物がうまく届かない場合があったようです。また、Ωの文字も、読めない人が多くみえたようで、そのままカタカナのオームに変えました。
この変更はおおむね好評でありましたし、今でも正解だったと思います。
CQオーム開店してまもなく父、武久が過労のためなくなりました。
社長を登美子、私が店員という新体制で、CQオームがリスタートしました。
新しい場所は比較的交通の便も良く、お客様にも好評のようでした。
ただ、鏡島大橋という橋の真下にあるので、ちょっと盲点なんだそうです。一度見つけられれば簡単なのですが、最初に来られる方には、橋げたの本当に下あたりだから、と伝えておかないと、見落としてしまうこと多々あるそうです。
●CQ誌の話
当時の業界ナンバーワン雑誌、CQHAMRADIO誌に広告掲載を始めました。
CQ誌に広告掲載をするということは、アマチュア無線ショップのステータスシンボルでもありました。
当時、白黒のページ、1面のさらに半分という小さなスペースでおよそ10万円近い広告料でした。
また、修正など手を加えてもらえばさらにお金もかかりますし、毎月広告を出すためには、この薄利な業界でかなりの大型ショップしか出来ない業であったのです。
正直言って、通販はじめ、お店の直接の利益につながる要素は少なかったように思います。
ただ、全国紙、CQ誌に広告を掲載できるようになった。これは多面的に考えればプラスであったのかもしれません。
昔からのお客様は、「ようやくCQオームさんもCQ誌に広告を出せるようになったか」と喜んでいただきました。
また近辺にすむお客様からも、こんなところにお店があるとは知らなかった、とご来店いただくことがありました。
●『肝っ玉母さん』
その頃、当店のキャッチフレーズを『肝っ玉母さんの無線専門店』としました。
女性社長が経営するアマチュア無線ショップということで、なかなかおもしろいキャッチフレーズでした。効果のほどはよく分かりませんが。
ただ、当時、パーソナル無線やCB無線のお客様が『無線の専門店』ということでよく来店していただきました。
ケーブル・電源などのオプションはそろっても、無線機本体はほとんど扱っていません。ですから、正確を期すために、その後、『肝っ玉母さんのアマチュア無線専門店』と変更しました。
パーソナル無線などのお客様は少し失うことになるかもしれませんが、きていただいて、がっかりして帰られては、よけい申し訳ないということで、こう変更しました。もっとも、ケーブルや電源、DCDCなどは、近隣のパーソナルショップなどよりもかなり安いらしく、よく知った方たちは、当店で無線機以外の付属品を購入していただけたようです。
肝っ玉母さんのアマチュア無線専門店というキャッチフレーズを打ち出すと同時に、社長の顔イラストが完成。
私が手書きで書いたものが元ですが、ふと店内にみえた方が、店内新聞に書かれたイラストをもとに印鑑でつくってみたからあげるとのこと。
それをいただいて、ぽちぽち使い始めたのがきっかけです。
その後、CQ誌にも顔イラストが大きく掲載されることになりました。
私の書いた絵を広告代理店の方が綺麗に描き直してくださいまして、それが本HPの一面にもある顔イラストです。
私自身はまずまずの出来かな?と思っているのですが、お客様には思いのほか大好評です。
とにかく似ているとのことです。そうでしょうか?
●店内新聞
また同じ時期、現在も続いている『ハローオーム』がスタート。
初心者の方にためになる情報、最新情報などを提供しようということで、スタート。
毎月6日、B4/4枚でスタート。当店の人気ものとなりました。
難点は名前を呼んでいただけないこと。
現在、「ハローオーム」と呼ぶお客様はほとんどいません。
「しんぶん」もしくは「オームしんぶん」と呼ばれています。
●テレビデビュー
当時、お店にちらっとみえたテレビ局のプロデューサーの方から、テレビ番組に出てみないかとのこと。
当時、今の不況が始まった頃でして、こんな不況時に頑張っている『肝っ玉母さん』のお店を大紹介という番組でした。当店も十五分ほど出させていただきました。
テレビに出たからといって、売上倍増するような業種ではありません。
それでも、一般の方に、アマチュア無線やお店の雰囲気を知っていただく機会にはなったかもしれませんね。
現在に続く。 |