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●スタート
1981年11月、父、故小島武久(JA2DFU)が当店を開店。
店を始める前は、日本電装の下請け、ラジコン機器製作の下請けをしていました。
昔からアマチュア無線を趣味にしていた武久は、わたしが小学校五年生の時、仕事を辞めて、アマチュア無線の店を持つことを決意しました。
当時はCQオームではなくて、『CQ house Ω』(シイキュウハウスオーム)という名称でした。
名前の由来の『オーム』はアマチュア無線家ならば誰でも勉強してご存じのことでしょう。電気工学で出てくる抵抗の単位ですね。
今は『house』という文字は抜けています。
取引メーカーの一部は、いまだに『CQ ハウス オーム』、場合によっては、『ハウス オーム』で荷物を送ってきます。前者はともかく、後者でよく荷物が届くなぁと、郵便屋さんの苦労を考えてしまいます。
●パーツ屋さん
全く手作りのお店です。岐阜市則武に小さな店舗を借りました。
大工仕事が得意だった武久は壁から棚まで全て手作りでした。
そうそう、今当店はパーツの扱いをしていませんが、当時は、アマチュア無線ショップというよりもむしろパーツ屋さんでした。
だから、商品棚には抵抗やらダイオードが数値ごとに分かれて並んでいました。
芋虫のような抵抗に様々な色のラインが書かれているのを子供心に綺麗だなぁと思ったものです。
武久は子供むけに、電子工作キットなどを販売して、電気のことを教える教室を開きたかったようです。
しかし、当初、お店はなかなかうまくいきませんでした。
近くには大きなアマチュア無線の老舗もありましたし、経営は大変でした。
当時の話の断片を聞いたことがあります。
●利益は?
今もそうですが、アマチュア無線業界というのは本当に薄利な世界です。
最初、取引をお願いした某メーカーにこう言われたそうです。
「85掛けで入れますので、それでやって下さい」
というのは、定価の85掛けでお店に買いなさいということです。
しかし、市場には当時、だいたい一割五分引き、売値がついていました。
85で仕入れて、85で販売?それでは利益が全くありません。
「よその店はどうやって利益を得ているんですか?」そう聞いたところ
「たくさん購入すると、バックマージンが出ます。それで生活しています」
そんな返事だったそうです。
バックマージンというのは、たかだか数パーセント。
大量に商品を購入し、正規の支払いを期限までに払うと、仕入れ量に対して、若干のマージンが後から入るのです。それがバックマージンです。
当店は仕方なく、10パーセント引きで販売していました。
しかし、数パーセントのバックマージンで生活する。考えられますか?
もし、今、開業してもこんな感じなのでしょうか?もちろん全く同じではないでしょうが、しかし、厳しい業界であることに違いはありません。
他にもいくつか当時の話を
●空箱?
今の当店にはじめて入られるお客様はその在庫の量に驚かれます。
メーカーから借りたもののように思われるかもしれませんが、実はこれ全部買い取りなんです。
もちろん当時もそうでした。
当時の当店はもちろん沢山の在庫を持つ余裕はありません。
各売れ筋、もしくは型落ちの安く入荷できるモデルを一台持つだけで精一杯でした。
一台売れたら、一台注文する。ないものは取り寄せで待っていただく。そんなお店でした。
お客さんももっとのんびりしていました。商品はお店にないのが前提で注文にだけ来る。商品は何週間かあとにひょっこり取りに来る。そんな商売でした。
ケンウッドの営業の方が、もう少し在庫があるように見えるといいから、といって、他のお店から商品の空箱を持ってきてくれたこともありました。
当店の近くには有力な老舗があり、またショップの多い名古屋にも地理的に近いことから、価格ではもう全く太刀打ちできませんでした。
●定価でいいよ
「定価でもいいよ。オームさんで買うから」
当時のお客さんはそう言って、わざわざ高い当店で買い物をしてくださいました。
ありがたいことに、他のお客様まで連れてきてくれる方が数多くいました。
当時のお客さんは今でも当店のお客様です。
今は、当店も余所のお店に負けない価格をつけられるようになりました。
当時からのお客様には、恩返しのつもりで、ほとんど利益なしで商品をお渡ししています。
それでも、当時のお客さんから受けたご恩は今後も絶対に忘れることはありません。
当店はありがたいことに、東海地方でも有数の量販店となることが出来ました。
しかし、単なる量販店にはなりたくない。お客さんとのコミュニケーションを大切にしたアットホームなお店でありたい。
当店の基本姿勢です。 |